日本におけるサメ食文化の歴史――「怖い魚」から「港町のたんぱく源」へ

サメは日本人にとって、長いあいだ「海の怪物」や「遠い外洋の生き物」というイメージで語られてきました。ところが食文化の視点で見ると、サメはむしろ逆で、驚くほど身近な存在でした。漁の現場では、サメは狙って獲る魚である以前に、網や延縄にかかる“現実のタンパク源”であり、海辺の暮らしの中に自然に組み込まれてきた食材だったのです。日本のサメ食文化は、豪華な饗宴よりも、むしろ保存と加工の工夫、そして港町の生活のリアリティの中で育ってきました。

「捨てない」から始まった――混獲の食材化という合理

日本でサメが食卓に上がる理由のひとつは、はっきりしています。サメは混獲されやすい。沿岸の底引き網でも、沖合の漁でも、意図せずかかることがある。そこで「捨てる」か「活かす」かの選択が生まれ、活かす方向へ傾いた地域では、自然に“サメを料理する知恵”が積み上がっていきました。サメ肉は白身で、加熱すれば食べやすい一方、鮮度が落ちると独特のにおいが出ることがある。このクセをどう扱うかが、地域ごとの料理法の分岐点になります。

ここで重要なのは、サメ食が「好きだから食べた」というより、「獲れたから食べた」「無駄にしないために食べた」という生活の側から始まっている点です。サメが“食材として定着した地域”は、海とともに生きる合理の積み重ねによって、サメを怖がる以前に、サメを使い切る技術を磨いてきました。

内陸へ運ぶための工夫――干物・塩蔵・加工の文化

サメ肉は、鮮度が良いうちに食べればあっさりした白身として成立しますが、昔の暮らしは冷蔵設備がないのが当たり前でした。そこで力を発揮したのが、塩と乾燥です。三重や和歌山の熊野灘沿岸で知られる「さめのたれ」のように、塩干し・みりん干しとしてサメを保存食にする文化が育ちました。これは“珍味”というより、魚を長く保たせるための実用であり、同時に、内陸へ運べる商品にもなっていきます。

この流れはサメに限りませんが、サメは特に加工との相性が良い。なぜなら、骨が少なく、切り身として扱いやすい種が多いこと、そして地域によってはまとまって手に入りやすいことがあるからです。干して焼く、煮て味を含ませる、練って加工品にする。サメは「味で勝負する魚」というより、「手をかければ確実に食になる魚」として扱われてきました。

東北の港町とサメ――“水揚げ”が文化を作る

日本のサメ食文化を語るうえで外せないのが、東北の港町です。三陸沿岸はサメの水揚げが多い地域として知られ、そこではフカヒレの加工だけでなく、サメ肉そのものも食材として活用されてきました。特に印象的なのが、いわゆる「もうかの星」と呼ばれるサメの心臓を刺身で食べる文化です。鮮度が命の部位を“刺身で食べる”という大胆さは、単なる奇抜さではなく、港町ならではの距離感の近さを示しています。獲れたものを、最短で、うまく食べる。その生活の延長線上にある食べ方です。

また、サメ肉は煮付けやフライ、カツ、カレーなど、家庭料理へも入り込みやすい。これはサメが「伝統料理として固定の名前を持つ」というより、「普段の料理の型にハマる」という性格を持っているからです。サメ料理の歴史は、格式の歴史ではなく、台所の歴史です。毎日の献立に無理なく組み込まれ、地域の味付けで“普通の魚”として扱われていく。その過程こそが日本のサメ食の核心にあります。

食用だけじゃない――サメ皮と「使い切る精神」

サメは食材としてだけでなく、素材としても古くから利用されてきました。とくにサメ皮(鮫皮)は、武具や工芸の世界で重要な役割を持ちます。刀の柄に巻かれる鮫皮は、滑り止めとして機能し、漆や糸との相性も良い。この“皮まで活かす”発想は、サメという存在が、日本の生活文化に深く入り込んでいた証拠でもあります。

食べる、干す、煮る、練る、そして皮も使う。サメは「高級魚」よりも「使い切る魚」としての立場で、日本の暮らしと結びついてきました。ここに、日本のサメ食文化の独特の温度があります。怪物を食べるのではなく、海の恵みを余さず使うという態度です。

近代以降の転換――フカヒレの国際需要と産業化

時代が下ると、サメ食文化はもう一段階変わります。フカヒレが“高級食材”として国際的に扱われるようになり、サメは水産加工の文脈で大きな存在感を持ち始めました。フカヒレは象徴的ですが、そこで注目すべきは、ヒレだけではなく、肉や内臓なども含めた加工の体系が整っていくことです。つまりサメは「たまたま獲れた魚」から、「加工し、流通させ、価値を最大化する資源」へと位置づけが変わっていきました。

ただし、この変化は単純に“豊かになった”話ではありません。国際需要が高まれば、資源管理や倫理、表示の透明性といった問題も同時に強くなります。サメは成長が遅い種も多く、乱獲が回復しにくいという性質があります。日本のサメ食文化が今後も続くためには、歴史の延長として「どう獲り、どう使い、どう残すか」という視点が欠かせなくなっています。

いまのサメ食――「珍味」でも「タブー」でもなく、地域の物語

現代の日本でサメを食べる機会は、全国一律に広がっているというより、地域の色が濃いまま残っています。東北の港町の加工品として、熊野灘沿岸の干物文化として、あるいは中華料理のフカヒレとして。サメは、食卓の中心に居座る存在ではないかもしれませんが、消えてもいない。むしろ、「その土地の海と産業の形」を語るときに、サメほど強い食材はないのです。

日本のサメ食文化の面白さは、サメが“特別な料理”としてではなく、“生活の現場”として根付いてきたところにあります。怖いから食べない、ではなく、獲れたから活かす。うまいから広がる、だけではなく、保存できるから続く。その積み重ねが、サメを日本の食文化の片隅に、しかし確かに残してきました。次にどこかの港町でサメの加工品を見かけたら、それは単なる珍味ではなく、海と暮らしが織り上げてきた「使い切る歴史」の断片だと思って眺めてみてください。

食べられたサメの代表格

  • モウカザメ(ネズミザメ類):三陸(気仙沼など)で肉・心臓(もうかの星)・加工に使われやすい
  • アブラツノザメ/ツノザメ類(dogfish):各地で煮付け・干物・練り物など“庶民枠”で使われやすい
  • ホシザメ/ドチザメなど沿岸性の小型サメ:関東〜西日本の沿岸で揚げ物・煮物・干物向き
  • シュモクザメ類:フカヒレ用途で流通することがある(地域の加工産業次第)
  • ヨシキリザメなど大型サメ:フカヒレ・加工用途で扱われることがある

※実際は「サメ」としてまとめ売りされることも多く、昔ほど“種名”で厳密に区別されていないケースが多いです。

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