スペイン南部アンダルシアのバルで、ビールの横に当たり前の顔で置かれる一皿があります。香ばしい衣をまとった小さな角切りの揚げ物――カソン・エン・アドボ(Cazón en adobo)。カディス周辺では「ビエンメサベ(Bienmesabe)」の名でも親しまれ、「うまいじゃないか」という意味の呼び名が、その立ち位置を端的に語っています。
この料理が面白いのは、派手な演出ではなく、台所の合理で完成しているところです。素材は「カソン」。言葉としては“サメ”を含むことが多いのに、皿に乗ると驚くほど素知らぬ顔で、誰の口にも収まりがいい。サメ料理は珍味や挑戦の文脈で語られがちですが、カソン・エン・アドボはその逆で、サメを日常へ落とし込む技術として成立しています。
酢・塩・スパイスの漬け込みは「匂い消し」ではなく「保存の理屈」
レシピの骨格は明快です。酢(白ワインビネガー)+塩+にんにく+パプリカ+オレガノやクミン。ここに角切りの身をしばらく漬け、粉をまぶして揚げる。多くの紹介で「マリネしたドッグフィッシュ(小型サメ)を揚げる料理」と説明されるのは、この工程が料理の本体だからでしょう。
酢は香りづけでもありますが、同時に保存と下処理の合理でもあります。白身の魚は、時間が経つほど匂いが立ちやすい。ならば最初から酸味と香辛料で“輪郭”をつくり、衣の香ばしさで包む。これは「匂いを消す」というより、食材の弱点を料理の強みへ変換する設計です。港町のバル文化に似合うのも、短時間で提供でき、冷えた酒に強い味を持ち、つまみとして成立するからです。
「揚げ物なのに軽い」――サメ肉を白身として扱う上手さ
カソン・エン・アドボの見せ場は、食感のコントラストにあります。外はカリッと、中はふわっと、そして身が崩れすぎない。サメ肉は白身として扱える一方で、魚種によってはしっかりした身質を持ちます。そこへ強めの下味を入れ、衣で香ばしさを足すと、油の重さよりも「香り」と「歯切れ」が前に出てきます。だから揚げ物なのに軽く感じる。バルのカウンターで、次の一杯へ自然に手が伸びる“つまみの設計”が、最初から料理の中に組み込まれているのです。
いまの扱い――観光客にも定着した「地域の当たり前」
この料理は、珍味として“見世物化”されるより先に、地域の当たり前として根付いてきました。ビエンメサベの別名が示すように、理屈より先に「うまい」がある。そして観光客が増えた今も、特別メニューではなく、バルの一皿として生き残っている。つまりカソン・エン・アドボは、「サメを食べる体験」ではなく、アンダルシアのバルを体験するための料理になっています。
ただし現代には、もう一つの文脈が重なります。表示と資源の議論です。「カソン」が“傘の名前”として使われやすいぶん、地域や供給状況によって別のサメに置き換わることがある――実際、資源状況の変化により、伝統料理がアオザメなど別種で作られるケースに言及する資料もあります。
だからこそ、カソン・エン・アドボは今、「おいしい郷土料理」であると同時に、「何の魚を、どう食べているのか」を考える入口にもなっています。
オチ――サメ料理は“珍味”より、台所の知恵として成立する
カソン・エン・アドボが教えてくれるのは、サメ料理の本質が“特殊さ”ではないということです。酢と香辛料で下味を作り、揚げて香ばしさを足し、酒の席のリズムへ合わせる。ここにあるのは、素材を誇張して見せる発想ではなく、日常の台所が積み上げた合理です。サメは怖いから遠ざけるものではなく、うまく扱えば、街の定番になる。アンダルシアのバルがそれを証明しています。
使われているサメ(「カソン」として扱われやすい例)
※地域・店・時期で入れ替わります(流通名としての「カソン」)。
- ツノザメ類(ドッグフィッシュ類)(料理紹介では「marinated dogfish」として説明されることが多い)
- ホシザメ類(スムースハウンド類:Mustelus属)(「cazón」と呼ばれる例が多い)
- イコクエイラクブカ(スクールシャーク/トープ)(「cazón」と呼ばれる地域・文脈がある)
- アオザメ(資源状況などにより代替として使われることがある、という言及)



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