メキシコのパン・デ・カソン(重ね料理の歴史)
「パン・デ・カソン(Pan de cazón)」と聞くと、初見では少し身構えます。直訳すれば「サメのパン」。けれど実物は、パンでも海賊料理でもありません。とうもろこしのトルティーヤに、黒豆のペースト、ほぐした“カソン”の身、そして赤いトマトソースを重ねていく――いわば**“サメ版ラザニア”**です。メキシコ・カンペチェ州の名物として知られ、家庭でも食堂でも、同じ構造で愛されています。
この料理の主役は、サメの派手さではありません。むしろ主役は「重ねる」という工夫です。トルティーヤは主食であり皿でもあり、豆は腹持ちと保存性を担い、ほぐし身は塩気とうま味の核になる。そこへピリッとしたソースをかけて、全体をひとつの“塔”に仕上げる。見た目は素朴なのに、理屈が強い。パン・デ・カソンの魅力は、この合理性にあります。
“サメ版ラザニア”が成立する理由は、港町の台所にある
カンペチェはメキシコ湾に面した港町の文化圏で、現地では「カソン=小型のサメ(ドッグフィッシュ的な扱い)」が料理に普通に登場します。パン・デ・カソンはその代表で、ほかにもエンパナーダやパヌーチョなど、カソンを使う料理が地域の味として語られています。
ここでポイントになるのが、保存・運搬に強い材料の組み合わせです。豆は乾物として持ちが良く、煮てペーストにすれば量も増え、栄養も確保できます。トルティーヤは焼けば香ばしく、ソースを受け止めてくれる。サメの身は、茹でてほぐせば骨のストレスが減り、ソースと絡んで“具”として安定します。Wikipediaでも、伝統的にサメ肉を香味の入った湯で茹でてからほぐす工程が説明されています。
つまりパン・デ・カソンは、豪快に焼く肉料理の系譜ではなく、主食・豆・ほぐし身を重ねて「食べやすさ」を設計した料理です。サメは主役でありながら、主役顔をしすぎない。そこが、この料理の知恵っぽさでもあります。
いまの扱いは「観光料理」でも「家庭料理」でもある
パン・デ・カソンは観光向けの“名物”として語られますが、それだけではありません。現地のレシピ紹介や料理家のレシピでも、トルティーヤ・豆・トマトソース・エパソテ(香草)といった家庭的な材料で組み立てられ、普段の台所の延長にある料理として扱われています。
そして、ここが面白いところですが、海外向けのレシピでは「カソンが手に入らなければ別の白身魚でも」と代替が提案されることがあります。これは“本物じゃない”という話ではなく、パン・デ・カソンの本質が「サメそのもの」よりも、重ね料理としての構造にあることを示しています。サメを知らない人でも、この料理の形は理解できるし、再現もできる。だから観光料理としても残り、家庭料理としても生き続けるのです。
オチ:サメは「豪快に焼く」だけじゃなく、主食と組む方向にも伸びる
サメ料理というと、ステーキや揚げ物のように“豪快”なイメージを持たれがちです。けれどパン・デ・カソンは逆を行きます。サメをほぐして、豆とトルティーヤの間に挟み、ソースでまとめる。これはサメを特別扱いせず、主食の論理に編み込む料理です。派手さではなく、日々の腹を満たすための仕組みとしてのサメ。メキシコ湾岸の台所は、サメを“怪物”ではなく“具材”として扱い、その結果として、ラザニアのように重ねる料理が生まれました。サメは、焼くだけの魚ではない。主食と組むことで、文化になるのです。
使われているサメ(「カソン」として扱われやすい例)
※地域・季節・流通で入れ替わります。「カソン」は“特定の1種”というより、市場での呼び名(枠)になりやすいです。
- ドッグフィッシュ(ツノザメ類)(レシピでは “cazón / dogfish” として扱われる)
- (カンペチェ周辺で)ブラックチップシャーク(クロトガリザメ)などが使われる例
- (メキシコ湾岸で商業的に扱われる小型サメの例)アトランティック・シャープノーズ・シャーク(Rhizoprionodon terraenovae など)



コメント