ナーサリー(育成場)とは「サメの人生が始まる湾」

サメのナーサリー(nursery)は、ひと言でいえば「幼魚が育つために使う海域」です。ただ幼魚が“たまたま見つかる”場所ではなく、毎年のように新生児・当歳魚(生まれて最初の年の子)が集まり、一定期間とどまり、成長し、やがて外へ出ていく――そんな“子育てのリズム”が繰り返される場所を指します。研究現場では、幼魚の密度が高い、同じ季節に繰り返し利用される、滞在が確認される、といった条件で「ナーサリーらしさ」を評価します。

ナーサリーが成立しやすいのは、浅くて入り組んだ海です。マングローブの根の迷路、海草藻場、内湾の奥、河口の汽水域、サンゴ礁のラグーン。ここには幼魚が隠れられる“地形の逃げ道”があり、餌もそこそこあり、外洋より波や流れのエネルギーが弱い。つまりナーサリーは、サメにとっての「弱い時期をしのぐ設計図」そのものです。

まずは王道の聖地:バハマ・ビミニのレモンザメ

ナーサリー研究の代名詞級の場所として語られるのが、バハマのビミニ周辺です。ここでは**レモンザメ(Negaprion brevirostris)**の幼魚が浅場の複雑な沿岸環境をナーサリーとして利用することが、長年にわたって追跡されてきました。ビミニは「子ザメが育つ場所」として研究者の蓄積が厚く、まさに“教科書的ナーサリー”のひとつです。

レモンザメの良さは、ナーサリーの重要性が直感的に伝わるところです。幼魚は浅場から大きくは離れず、身を寄せるように生活して、少しずつ体を大きくしていく。外洋のスターであるホホジロザメのような派手さはなくても、ビミニの浅瀬は「サメが増える前に、まずサメが育つ」ことを見せてくれます。

米国フロリダの定番:テラ・セイア湾のブラックチップ

ナーサリーが「場所の名前」として定着している例として、フロリダの**Terra Ceia Bay(テラ・セイア湾)は強い存在感があります。ここはブラックチップシャーク(Carcharhinus limbatus)**の主要ナーサリーとして繰り返し参照され、幼魚の滞在や出湾(ナーサリーから出ていくタイミング)まで研究対象になっています。

しかも近年は、海水中に残るDNAを拾うeDNAの手法で、湾内にブラックチップが多い季節・少ない季節を追い、従来知られていた「春〜夏に幼魚が多い」という季節性と照合する研究まで出てきました。ナーサリーは“見つけて終わり”ではなく、モニタリングの技術革新で「いつ、どれくらい、どんな変動があるか」を測る段階に入っています。

ここで重要なのは、ナーサリーが「浅い湾」という、いちばん人間の活動(開発・浚渫・水質変化)の影響を受けやすい場所にあることです。つまりテラ・セイア湾のブラックチップは、サメの子育てが“都市沿岸”と同居している現実を教えてくれます。

ハンマーの赤ちゃんが生まれる湾:ハワイ・カネオヘ湾

「ナーサリー=マングローブや内湾」というイメージを超えて有名なのが、ハワイ・オアフ島の**Kāneʻohe Bay(カネオヘ湾)です。ここはアカシュモクザメ(Sphyrna lewini)**の出産・幼魚期の場として、古くから“pupping ground(産仔場)”として言及されてきました。

シュモクザメ類は成体の群れが注目されがちですが、実は「赤ちゃんが育つ場所」のほうが、集団の存続にとっては致命的に重要です。カネオヘ湾が示すのは、外洋のイメージが強い種でも、幼魚期には“湾のやさしさ”が必要になるということです。しかも、この種は世界的に脅威が指摘される存在で、ナーサリーの保全価値はますます重くなっています。

川がナーサリーになる:フロリダ「トロマト川」のアカシュモクザメ

ナーサリーの面白さは、「海の中」だけに限られない点です。米国フロリダ北東部の**Tolomato River(トロマト川)**では、**当歳のアカシュモクザメ(Sphyrna lewini)**が利用する河川性・汽水性のナーサリーが研究対象になっています。近年の研究でも、この川が“young-of-year(当歳)”のナーサリーであることが明確に述べられています。

「海のシュモクザメが川?」という違和感が、そのままナーサリーの本質です。幼魚にとって重要なのは“どこで育つか”であり、“どこに住む種か”は成体視点の話になりやすい。川と海が混ざる汽水域は、視界が濁りやすく、塩分や温度が揺れ、外敵の大型魚が入りにくい局面もある。厳しい条件はあるのに、幼魚にとっては「外洋よりマシ」という形で安全性が勝つことがあるわけです。

典型的な汽水の子育て:エバーグレーズのオオメジロザメ

汽水域ナーサリーの“王道キャラ”として外せないのが、**オオメジロザメ(Carcharhinus leucas)**です。フロリダのエバーグレーズ周辺、とくに河口・エスチュアリー(Shark River Estuaryなど)は、幼魚の動きや生態が追跡されてきた地域として知られます。オオメジロザメは淡水域まで上がることができる数少ないサメのひとつで、幼魚期にこうした入り組んだ環境を使うことは、生き残り戦略として非常に理にかなっています。

こういう場所の怖いところは、ナーサリーの価値が「海の景観」としては地味すぎる点です。観光ポスターになるのは透明な珊瑚礁で、汽水の濁った入江は後回しになりがちです。でもサメの個体数を支えるのは、しばしばこうした“地味な沿岸”です。

サンゴ礁にもあるナーサリー:ツマグロ(リーフ)ザメの浅瀬

ナーサリーは温帯の内湾だけの話ではありません。サンゴ礁の浅い干潟や礁原も、幼魚にとっては重要な育成場になります。たとえば**ツマグロ(ブラックチップ・リーフ・シャーク/Carcharhinus melanopterus)**は、幼魚が浅いナーサリー域を使うことが一般向けにも説明されています。サンゴ礁の浅瀬は水温や酸素が揺れやすく過酷ですが、その過酷さが逆に「大型の捕食者が居座りにくい」条件にもなり、幼魚が生き残る余地になります。

ここで見えてくるのは、ナーサリーが単に“安全な場所”ではないという点です。むしろ「幼魚が耐えられるギリギリの環境」だからこそ成立する場合がある。子どもにとって優しい世界は、大人にとっても快適とは限らないのです。

“有名な場所”が教えてくれる、ナーサリーの共通ルール

ビミニのレモンザメ、テラ・セイア湾のブラックチップ、カネオヘ湾やトロマト川のアカシュモクザメ、エバーグレーズのオオメジロザメ、そしてサンゴ礁浅瀬のツマグロ。これらの有名スポットは、海域も種もバラバラなのに、共通して「幼魚の都合」でできています。

まず、地形が複雑であること。次に、水深が浅くて大物が動きにくいこと。そして餌があり、幼魚が成長できること。さらに重要なのが、毎年繰り返し使われる“季節の再現性”です。テラ・セイア湾の例のように、その再現性はeDNAなど新しい方法でも検証され始めています。

そして最後に、ナーサリーは人間活動と衝突しやすい場所でもあります。浅い湾、河口、マングローブ沿い、干潟。港を作り、護岸し、埋め立て、浚渫し、水質が変わる。ナーサリーは“海の入り口”にあることが多いから、守るのが難しい。だからこそ「ここがナーサリーだ」と名指しできること自体が、保全の第一歩になります。

まとめ:ナーサリーを知ると、サメが“増える理由”が見えてくる

サメの魅力は、強さや恐ろしさだけではありません。幼魚が弱い時期をしのぐために、海の地形や水の性質を利用し尽くしているところにこそ、したたかな美しさがあります。ビミニの浅瀬で育つレモンザメ、フロリダの湾で季節を刻むブラックチップ、ハワイの湾やフロリダの川で命をつなぐアカシュモクザメ、汽水の迷路で育つオオメジロザメ、サンゴ礁浅瀬の極端さに耐えるツマグロ。ナーサリーは、サメの“成体の迫力”ではなく、サメの“未来”が置かれている場所です。

もしこの先、記事としてさらに強くするなら、「日本近海にもナーサリーはあるのか」を、特定の湾名・河口名・幼魚の反復出現という条件で拾い直す形が相性いいです。国内だと研究・報告が散らばりがちなので、種(ドチザメ、ツマグロ類、シュモクザメ類など)を決めて、地名を“確実に言える”ものだけで固めると、読み味が一気に締まります。

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