“歩くサメ”は都市伝説じゃない

ウォーキングシャーク(Walking shark)という言葉を初めて聞くと、「サメが陸を歩く? 盛りすぎでは」と思うかもしれません。ですがこれは誇張ではなく、ヒレを“足”のように使って海底を這うサメたちの通称です。主役は、テンジクザメ目の中でもHemiscyllium(エポーレットシャーク/ウォーキングシャーク)属。小型で夜行性、サンゴ礁の浅場を生活圏にする、まさに“足つきのサメ”です。

ウォーキングシャークの代表:エポーレットシャーク(Hemiscyllium ocellatum)

「歩く能力」が最もよく研究されてきたのが、エポーレットシャーク(Hemiscyllium ocellatum)です。潮が引いた礁池や岩陰で、胸ビレと腹ビレを交互に踏み替えるようにして移動し、獲物を探します。泳ぎで移動するのではなく、“底を歩く”ことが日常の移動手段になっているのが面白いところです。

「サメ=遠洋を回遊し続ける捕食者」というイメージが強いほど、この足取りはギャップになります。ところが、浅いサンゴ礁では“速さ”よりも“確実さ”が武器になります。狭い隙間、複雑な地形、濁りやうねり。そこでは、エポーレットシャークのように体をくねらせ、ヒレで踏ん張りながら前へ進むほうが合理的なのです。

地理で分化するサメ:インドネシアの“ご当地ウォーキングシャーク”

ウォーキングシャークがロマンになるのは、歩き方そのものだけではありません。彼らは広い海に均一にいるわけではなく、島や湾ごとに“ご当地種”が分化しやすいことで知られています。IUCNのまとめでは、Hemiscyllium属は9種が知られ、北オーストラリア〜ニューギニア周辺とその衛星的な島々(ハルマヘラ、アルー諸島、ラジャアンパットなど)に強く制限されると整理されています。

たとえばインドネシアだけでも、名前を聞くだけで地図が浮かぶような固有種がいます。

ラジャアンパットの“カラビア”:Hemiscyllium freycineti

**ラジャアンパット・エポーレットシャーク(Hemiscyllium freycineti)**は、ラジャアンパット地域に限られる種として紹介されることが多く、現地名「Kalabia(カラビア)」で研究・保全プロジェクトが組まれています。

2013年に記載された“新顔”:ハルマヘラ・ウォーキングシャーク(Hemiscyllium halmahera)

そして象徴的なのが、ハルマヘラ・ウォーキングシャーク(Hemiscyllium halmahera)です。これは2013年に新種として記載されたことで話題になり、「いまでもサメの新種が見つかるのか」という驚きを与えました。

ここが“生きた化石”の話と地続きで面白い点です。深海の古参が注目されがちな一方で、ウォーキングシャークは逆に、浅場のサンゴ礁という“人間に近い海”で、しかもごく狭い範囲に固有の姿で残る。つまり彼らは「古い」より「分かれていく」ことで、サメの多様性を見せてくれます。

なぜ“ご当地化”が起きるのか:歩くサメは、広がらないから分かれる

ウォーキングシャークの分化(種分化)が起きやすい理由は直感的です。彼らの主戦場は、外洋ではなくサンゴ礁の浅場。行動圏は広くない。すると、島と島のあいだの深い海が“壁”になり、集団が分断されやすくなります。結果として、ラジャアンパットの H. freycineti と、ハルマヘラの H. halmahera のように、地名がそのまま種の個性になっていくわけです。分布図が“点”になるタイプのサメは、それだけで進化ドラマを匂わせます。

“生きた化石”としてのウォーキングシャーク

では、ウォーキングシャークは生きた化石なのか。ここは言い回しに注意が必要です。ラブカやミツクリザメのように「古代的な特徴を残す」という意味の生きた化石ではなく、ウォーキングシャークが見せるのはむしろ別のタイプの“化石感”です。

それは、サンゴ礁のミクロな環境に合わせて固定され、狭い範囲に閉じ込められたまま分化していくという、進化の“地層”そのもの。深海の古参が「昔の型が残る」なら、ウォーキングシャークは「島ごとに型が増える」。同じサメでも、時間の残り方が違います。

そして現代の海では、その“残り方”が脆さにも直結します。生息域が狭い固有種ほど、沿岸開発や観光圧、局所的な環境変化の影響を受けやすいからです。ウォーキングシャークは歩けても、海の変化からは簡単に逃げられません。

さいごに:足が生えたのではなく、海が足を必要とした

エポーレットシャーク(Hemiscyllium ocellatum)が礁池を踏みしめ、ラジャアンパットの H. freycineti が“カラビア”として島の海に根づき、2013年に記載された H. halmahera が「まだ見ぬサメ」を現実に引き戻す。ウォーキングシャークが面白いのは、サメが“海のスピード狂”である前に、環境に合わせて姿勢を変える適応者だと教えてくれるところです。

歩くサメは、陸に上がりたいわけではありません。むしろ逆で、海が複雑になったから、歩くという解が生まれた。その足取りは、生きた化石というより、海が刻んだ進化の“現在進行形の化石”なのです。

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